日本で自立することが困難なワケ〜便利すぎる日本

引き続きニュージーランド(以下NZ)の記事です。
前回、「消費しないNZに暮らしてみて、そして、また消費しなければならないニッポンに暮らしてみて、いろいろ考えることがあります。」と書きました。

NZスタイル、無駄に消費せず家庭菜園や釣りや狩猟で食べ物を確保したり、壊れたものは修理して長く使ったり…という生活は確かに憧れるし、一見シンプルで簡単にみえる。
しかし、実際はものすごく高い能力が必要です。
NZは一人一人の個人の生きる能力が高い、つまり個人がかなり自立している国です。
NZは高税金・高福祉の国で、国の保護は手厚いのに、依存していない。


(公園でのピクニックもNZの娯楽の一つ♪)

たいして、日本という国は一人一人の「生きていく能力」がとても低い。
理由は簡単で、NZのような国で必要な「生きていく能力」が日本においては全然必要ないからです。

モノはすべて買ってくればよく、壊れたものは修理にだす、または新しいのを買い、トラブルがあったら電話一本すればかけつけてくれる。

日本というのは、なーーーんにもできなくてもお金さえあれば生きていける国なのです。
逆にいえば、お金がないとかなり不自由な国。

そして、日本にいてもっとも感じるのは「自分でやろうとすると逆にコストが高くつく」ということです。

手芸や家庭菜園、自分でつくるものは高級な趣味。
材料費は高く、できたものを買った方がずっと安い。
このジレンマ、私はよく感じています。

他にも「自分でやろうとしても規制が多く、実はそれほど自由ではない。」というのもあります。
たとえばNZでは、自宅でサンドイッチをつくり、コーヒーを淹れ、それをストリートで売ってお小遣いを稼ぐ、ということがわりと簡単にできる。
日本では、多くの規制があっていろいろ許可をとらなくてはならず簡単ではない。
保健所、税務署、縄張りを仕切っている人、いろんな人が押しかけてきそうです。

この国は、国民を「自立させまい」としているかのようです。
実際、「国民に自立してもらったら困る人」が、かなりいると思われます。
なーーんにもできないからこそ、そこに商売がなりたつわけで。
消費をさせることができるわけで。

高齢者が自宅から施設に移ると、一気に認知症がすすむ、という話をよく聞きます。
一人暮らしで自宅にいたときは、多少の段差がある家で自分でトイレにいったり、お茶を入れたりしていたのに、施設にはいったら、何一つしなくてよいから。

ある意味快適すぎる環境の中で、ボタン一つでスタッフがいつでも来てくれてお茶も出てくる。そうやってなにもすることがなくなり、あっという間に寝たきりになってしまう。
いまの日本ってこういう状況にそっくり。

私は、外国から日本に帰ってくると、自分がすごく便利で快適な施設に入ったみたいな、そしてどんどん能力と自信が低下した状態になります。

私は、そんなダメになっていく自分がいやで、時々、日本の外にでて、不便な中に身をおいてみようと思っているのです。