自分をいかして生きる 西村佳哲 著

自分をいかして生きる (ちくま文庫)

自分をいかして生きる (ちくま文庫)

この人の本を5冊、一気に読んでしばらく働くことについて考えていました。

前回書いたデザイナー皆川 明(みながわ あきら)さんとの対談についてはコチラ 

わたしは働くことや仕事が嫌いではないと思うのだけど、日本の組織に属することで発生するもろもろのこと、たとえば全員が仕事終わるまで帰れなかったり、上司や先輩の言うことは正しくなくても絶対だったり、常に空気を読まなくてはいけなかったり、「和をもって尊し」がなによりも優先だったり、モラルに反することをやらされたり、なんだかそういうことが嫌だったりする。

「日本の組織」と書いたのは外国で働いていた時には、こういう問題の経験はないから。日本ではこの発生するもろもろのことも含めて「仕事」という認識かもしれない。

西村さんの本に出てくる人は、全員 自分で仕事をしている人。
組織にお勤めしている人は出てこない。

本を読み終えて、印象に残っている言葉を少し書いておきたい。

(P.80)
パッツイー・カーターさん The Inn at 657 オーナーの言葉

私はインの前の道の掃除から始めました。最初始めたときは一体それが何になるのか、果たしてやる意味があるのか。道なんて掃いてもすぐにまた汚れるし、そんな姿を見て近所の人達がどうおもうだろう…とかいろいろ考えてしまった。でも、そういうことを考えだしたら、なにも始められないじゃない。つづけてみた結果、今ではコミュニティも変わったし、私は地域の代表としてLAPDに講演者として招待されるようにもなった。

これは、仕事に限らず「生きる」とはこういうことなんだろうと思う。
やりたいことや夢があるけれど、なにからはじめていいのかわからないとき「こんなことして何になるのか、やる意味があるのか、人がどう思うだろう」と思うことは多いと思う。

でも、やっぱり目の前のことから手をつけ始める他はない。
「効率のよいなにか」を探している暇があったら、とりあえずでも目の前のことから取り掛かった方がよい。

(P.52,53)
人は、 例えば、美容師になりたい訳でも、野球選手に成りたい訳でもなく、〈自分〉になりたい。より〈自分〉になれる仕事(や趣味)を探している。働く事を通じて、「これが私です」と表現出来る、そんな仕事を探しているんじゃないか。

(P.172)
大づかみに言えばわたしたちは、本来自分でやればいいことを、より得意な(とは限らない)他人に任せ、その対価としてお金を払い、その分の時間を使って別の誰かが自分でやればいいことをやり、対価としてお金を受け取る…ということを繰り返して経済を回している。
〜中略〜 うっすらと不安を抱きながら、人間はより「お金を使って生きる」方向に整わざるを得なくなってるように思う。〜中略〜 こうして、お金で価値を交わせば交わすほど、少しずつ負担もかさんで貧しさの実感が微増する、という厳しい状況が進む。そしてさらに働かざるを得なくなる。仕事、ひいては人生に対するオーナーシップは弱まり、「好き好んで働いているわけじゃない」といった気分や態度も増えやすくなる。

仕事についてだけでなくお金というものについても考えることが多いのですが、日々の生活の中で「お金がなければ生きていけない」と思わされているような、なにか騙されているようなヘンな違和感があるのです。

これについては、また後日書いてみたいと思います。