イスラム国と自分の居場所

世界的な脅威となっている「イスラム国」
なんだかここから世界が滅びそうな予感さえする。

先日クローズアップ現代でこの「イスラム国」が取りあげられていた。
防衛省や保健省、電力省などもあり、それぞれに閣僚がいます。」なんてオウム真理教そっくりですね。

もう20年近く前になるサリン事件で明るみに出たカルト集団のトップクラスにエリートが多かったのも当時は衝撃的だった。なぜ?と多くの日本人が思った。

いまや世界中から戦闘員としてイスラム国へ参加する人が増えているが、その気持ちはいまひとつ理解できないでいた。

番組の中で「イスラム国のPR映像」というものが流れるのだが、その演出された「イスラム国に参加して幸福そうな若者」というのが、あまりにも不気味でこの映像の意図が逆にはかりかねる。

本当に幸福そうな若者を演出したかったのだが、隠しきれない制作側の邪悪さがにじみ出ている、といった感じなのだ。この邪悪さが意図的なものなのかどうかが、どうにもわからないが、このPR映像やSNSでの勧誘は成功しているらしく、世界中から若者が集まっているらしい。

例として挙げられていたアメリカの若者は、「所属していた州の軍隊を除隊させられ、失恋していた」そうなのだが、こういった心の闇をついてくる。…というのは、いままでも語られていた分析。これだけで本当にあちら側にいくものかしら?と思っていたのだけど、今回ものすごく腑に落ちた言葉があった。

ゲストの保坂修司さん(日本エネルギー経済研究所研究理事)は、

「その心の闇、空白にこういった宣伝活動が食い込んでいくというのが、基本的なパターンではないか」といったうえで、さらに

多くの人たちは自分がそのなんらかの形で、社会に位置づけられたいと、役に立ちたいというふうに考えている。その役に立つ場を求めている。
そこに行けば自分が役に立つんだと、なんらかの形で自分の居場所があるんだ、場合によっては死に場所があるんだというふうに考える人たちが多いのではないか。

社会の役に立ちたい、自分の居場所が欲しい。
こういった人間として基本的な欲求。

その空白が大きくなっている私たち。
そこを利用されたら、もうひとたまりもないかもしれない。

こういった構造もカルト教団とそっくりなんだ。

自分の居場所。あらためて考えてみると、居場所ってなんだろう。
大好きなカフェや公園など場所そのもの。空間のこと。
または、気の合う友達と過ごす時間。共有する時間。
自分が安心して「ここにいてもいいんだ」と存在を肯定してくれるような場所のこと。
自分の心とイイ感じでつながっている場所。

そしてそれは人から与えられるものではない。

居場所と感じる場所は、自分の心を尽くして関わって大切に育んでいくものなのです。

そのプロセスを全部すっとばして「幸福な居場所を提供します」というところに自分の居場所があるわけはない。
甘い誘惑に負けないでほしいと思う。