ベトナムに行って思ったこと

いやー若い若い!
都市国家としても若いし、街で見かける人々の平均年齢が若い!
そして、あきらかに日本の人口ピラミッドと構成が違う。

サイゴン陥落が1975年、ベトナムは今年で戦後39年になる。
日本にあてはめて考えると、戦後39年というのは1984年。
まさに日本の高度成長期、バブルに向かっているイケイケのころ。

ベトナムには、まさにそんな勢いを感じました。
国が発展しようとするときに生じる上昇するエネルギー、人々の活気、
かつての日本にあったなつかしい空気。

お土産屋やレストランにはスタッフがたくさんいて、みな若い。
暇そうにおしゃべりしていたりする。
ちょっとした高級デパートには、ドアを開けてくれる人、タクシーを呼んでくれる人など、その仕事だけのための人がいる。
その人件費の余裕ぶりが、なつかしかった。

そう思って日本を眺めてみると、やはり、全体的に年老いた感じは免れない。
人だけではなく、インフラやビルなども老築化してきた。
なのに、それを受け入れようとせずに「もっと消費を!!」とあの手この手でけしかけて消費をうながす。

日本という国は、消費国家なので消費をしないと国が存続できない。
だけど、消費というのは若い人のものかもしれない。
あれもこれもほしい!!というのは、何も持っていない若さの象徴でしょう。

私は普段テレビをみないし、見てもCMは飛ばしてしまうのですが、たまにリアルタイムでテレビをみると、CMの様相が高齢者仕様になっていて驚く。
男女に関係なく、カツラ、化粧品、サプリ・・・もっとこういうものをどんどん使って若返りましょう!!というのが、今の日本です。

国自体が「若いころはよかったなあ。青春をもう一度!!」と叫んでアンチエイジングを求めているような・・・サプリやカンフル剤を使って、老体に鞭打って無理やり消費している感じ。

だけど、やっぱり違うと思う。

成熟した大人の社会には、消費するばかりではない、それなりの社会の在り方というものがあるのではないか。

オリンピックや原発再開って、カンフル剤の最たるものだと思うけど、その方向に進むしかないのでしょうか。

経済というのは、他の国も複雑に絡み合って成り立っているので、日本が「じゃあ、消費辞めます」と突然いえば、連鎖倒産的に道連れになる国が出てきそうだし・・・というわけで、やはり走り続けるしかない…のでしょうか。

だけど、少ない若人が多くの高齢者を支えている、といういびつな人口構成がちょっと普通にもどるときがくる。
現在の高齢者が世を去った後には、日本の人口はごっそり減り、土地の値段も適正にもどり、その頃には、フリーエネルギーが無料で自由に使えてなんでもできる世の中になっているかもしれない。

原発のないベトナムでも旧正月前ということもあって、これだけのイルミネーションやネオンがきらきら。
(やっぱり若干、日本とはセンスというか好みが違うと感じた^^;)

ベトナム原発建設は決定しているそうで、本当に残念です。
いまなら、まだ間に合うのに。