ベトナムに行くので、お買い物が楽しみだけど、どうもベトナムの物価はこの10年ほど で数倍になっているらしい…ということを前回のブログで書きました。

今回のベトナム旅行で参考にしている旅行雑誌が2冊。
1冊は、2000年に発行された旅行雑誌、もう1冊は「地球の歩き方」から出ているarcoという小冊子。
この2冊の格差が、ものすごいことになっているのです!

2000年ごろの日本はバブル崩壊後で,「バブル時に比べれば、不景気だ」と思われていたけれど、2013年の今、眺めてみると 当時の日本は、まだこんなに豊かだったのだ、と思わされます。

この雑誌の内容は、このベトナムの記事以外にもギリシャやトルコなどの海外旅行の記事、料理や国内観光地(日光)の記事などです。
この中で、私が感心するのは、プロによる取材の写真や文章などとても美しく丁寧なつくりで、雑誌がお金をかけていると思わせること。
この雑誌の読者対象が、特別な富裕層ではなく、ごく一般の会社員女子(OL)だと思われること。
当時は、まだ30歳ぐらいの女子が、友達同士で海外に行くことなどは まだわりと普通に行われていたのだなあ、と思われます。

それに比べて、現在の日本。この時より後、リーマンショックを経て ますます格差が進んでいることを実感します。
海外旅行に行く人や富裕層向けの雑誌を買う人は減っていないけれど、富裕層と貧困層の中間にいた多くの かつて「中流」と言われていた人たちが、ごっそりと貧困層にスライドした。という印象です。

これに対して、2000年の雑誌に載っているベトナムは、この10年で驚くほど発展したのだと思います。(まだ行ってないので、なんともいえないけど)
物価は10倍にあがり、すっかりおしゃれな都会になった。

物価と言えば、1980年代後半に外国にいく際には、必ず化粧品や洋酒やタバコをお土産に頼まれたけれど、いまはそんなものを頼む人はいないでしょう。
日本で買った方が安いからです。

そして、2000年以降、海外旅行に行った際、もはやどんなものでも「安い海外で買おう!買いだめしよう〜!」なんてことはなくなりました。化粧品や洋酒に限らず、なんでも物価は日本の方が安いし、海外でなにか買う時「楽天で探せば、もっと安いのあるかも」と思ってしまいます。

日用品はほとんど100円ショップでそろうし、服はユニクロがあるし、外食だって回転ずしやファミレス、ファストフードなど1000円以下で済ませられる食事はたくさんあるし、チップもいらないし。
その生活に慣れきって、ユーロが高い時に、ヨーロッパなどに出かけると、水1本300円とか^^;でも高く感じて、「つくづく貧しくなったなあ、私&ニッポン・・・」と思ってしまう。

そして、皮肉なことに、これらの安い店で安く買えることが、現在の私の生活を支えているともいえる。これらの価格の安さに救われている日本人は多く居るはずで、日本がバブル崩壊後の下り坂の経済をある意味 これほど長く続けてこられてしまったのも、「物価が安くなった=デフレ」のおかげ?ともいえるということです。

でも、これらの「安い店」で提供される「低価格」のツケはどこにまわっているのだろう。

「安い価格で提供する」ための低賃金雇用、不安定な雇用、食材偽装、食材使いまわし・・・。

安い店で買い物ができるのはいいけれど、逆に自分が職を得ようとする時、また労働の対価としての賃金や報酬をもらおうとする時、当然これらの金額もどんどん下がっていくのです。

この物価の安さに救われながらも、同時に、そのことが自分たちの首をしめ、どんどん貧困に落ちていく。

デフレスパイラルの恐ろしさを、最近 実感としてつくづく感じています。

そして、国が貧しくなると、高税金低福祉となり、そのツケは弱者(高齢者、子供、持病のある人、障がい者など)にしわ寄せがきます。

年をとること、病気になることは努力で避けられないことです。
「物価の安さ」のツケは、私たち自身が払うということです。

そして、国民にそのことにあまり気がついてほしくない人が、たくさんいます。
あの手この手で国民の気をそらしたり、考えてもしょうがない、と思わせます。

だから、「物価が安くてラッキー!」と喜んでばかりで、それ以上深いことは考えない、という思考停止状態はまずいだろう、と思います。

そんな人達の思うツボだからです。