旅は楽しいのか?!私が旅にでる理由を考えてみた。 


バンコク ワットポーの涅槃像)

私は旅がライフワークなので、旅を中心とした生活に大きくシフトしたのですが、ふと「タビは楽しいのか!?」と深く考えると、うーーーん、それがですねえ、微妙なんですよ。

旅が好きなために、ずっと旅に出ない生活が続くと、なんかこうドンヨリ自分が淀んでくる。

だから、自分を保つためにも旅は欠かせない。

だけど、それが旅行中ずっと楽しくてしょうがないか!?というと、いや、そうでもなく、むしろ一番楽しいのは準備している時かもしれないなあ、などと思います。2番目が帰国後、写真を見返したりして思いだしている時。

旅をしている最中は、1日中、降りかかってくる火の粉を払い続けているような感じ。
次から次へと問題が起こり、まるで障害物レースに出ているみたい。
まずは交通機関。時間どおりにこないバス、電車。
バスに乗っても、ちゃんと行先が合っているかも不安。
私はものすごい方向音痴なので、行先が間違っていることがしょっちゅうある。
しかし、間違っていることになかなか気が付けないことも多い。
30分ぐらいでつくはずなのに、おかしいなあ〜と思う。
だんだんバスの人が降りていき、不安につつまれる。
不安な私の様子をみて、周りの人が声をかけてくれることも多い。
「どこに行きたいの?」
親切な人は、バスの乗り換えまで付き合ってくれたりする。
こういう時は、本当にうれしい。

ほかにも、行こうとした場所が閉まってた、ガイドブックでチェックしていた店がなくなっていた、歩いていたら道に迷って帰れなくなった、突然スコールにやられて全身びしょびしょになった、宿泊施設のカギをなくした…いまのところ命にかかわるような危険な目に合っておらず、あとから考えると笑い話になるようなものばかりだけれど、その時は結構あたふたしている。

大変なことがたくさんあるのに、どうして旅に行きたくなるんだろう。

ひとつは、旅することが冒険にでるような、なにか少し難しいことにチャレンジしたい、という意欲とやればやるほど、自分に力がついてくるような、以前ならできなかったことができてくる(これを成長という)ことが快感なのだと思う。
旅はRPGですよ、ドラクエと一緒。安全だからといって、ずっと街の中にいてもつまらないでしょ!?

そして、もうひとつが旅の9割が火の粉を払っている行為だとしても、残りの一割の美しい瞬間、息をのむような絶景、カフェで隣り合った人と交わした2、3の言葉、困っている私に差し出してくれた善意、そういう一瞬一瞬で私の人生は創られていく。
いままでの旅で、この2つのことを知ってしまった。
だから旅することは一生辞められない。

年を取って、物理的に遠くに行けなくなったら、その時には近所の散歩することで、美しいものに気付ける感性をもっているように、また、本当に寝たきりになって、どこにも行けなくなっても目を閉じたら、いままで行ったタビの美しい記憶で満たされるように、私はこれからも旅を続けていきたいと思うのです。